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『格闘ロマンを求めて -世の中とプロレスをするということ-』 2011年 年頭に際して

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新年、明けましておめでとうございます。ご家族とともに素晴らしい 2011年を迎えられたことお喜び申し上げます。昨年中は大変お世話になりました。本年も何とぞよろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。

昨年末、私は縁あって約 20年ぶりにプロレスに触れる機会に恵まれました。かつて、20代前半の頃、私は大阪でプロレスのライター(評論作家)を少しやっていたことがあります。 八百長だろうが、筋書きがあろうが、自分が体感して感動したものに対し素直に純粋に心を傾ける。そんな日々を過ごしていました。もちろん収入などほぼゼロ の状態でしたが、目の前のプロレスに対して夢を感じていました。何も持ってはいなかったけど、憧れる心は知っていました。そして、大人になるためにプロレ スを離れました。社会人になり、しがらみに揉まれながら、世知辛い商売の世界で懸命に生きて、気づけば40歳になりました。大学の卒業旅行で屋久島に行っ たときに車の中で流れていた「真夜中のダンディ」になったのです。

他の競技スポーツと違って、プロレスとは、ただ勝てば良いというものではありません。ルール上は相 手の肩をマットにつけてスリーカウント奪えば「勝ち」になります。勝ちに至るプロセスが大事なのです。自分を取り巻く環境との関係性を素直に受け入れ、そ して、自分の存在価値、存在の必然性を示す行為が必要です。ヤングライオンにはそれがなかなか解らないのです。また、それが、プロレスラーと総合格闘家を 区別する指標なのです。ただ、勝てば良い総合格闘技では早晩観客は呼べなくなります。短期的な興奮はありますが、そこには芸術的な演劇の余地がないからで す。世の中はロマンや憧れを感じるものとしか長くお付き合いをしないのです。

私は今年、ヤングライオンから脱皮し、リアルプロレスラーになるべく驀進します。 20年ぶりにプロレスに触れ、素晴らしいインスピレーションを感じることができました。東京、大阪でイベントを通じてお付き合いいただいた素敵な仲間たち、ありがとう。眠っていた何かが目覚めました。そうでした、私は世の中とプロレスをするために社会に出たのでした。今年は世の中が繰り出してくる「デフ レスパイラル」なるフィニッシュホールドをカウント2.5くらいでキックアウトして見せます。