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『鋼の舟はついに浮かばず』追悼:多田野弘さん

この度、移動式油圧クレーン業界の巨匠、多田野弘さんがご逝去されました。

弘さんは1963年から1979年まで16年間、第2代多田野鉄工所の社長を務められ、その後、会長、相談役、名誉相談役、最高顧問を歴任し、まさに今日までクレーンメーカー「タダノ」の精神的支柱でありました。タダノのホームページ上で長年にわたり、ご自身の思想を述べてこられた「航海日誌」の著者でもあります。

私がタダノに入社した1994年当時は「相談役」であり、新入社員への講話で登場され、話の内容はどうあれ、ご自身の日頃の鍛錬として「真向法体操」を突然披露された姿を昨日のことのように思い出されます。普段からタダノ本社の体力増進センターでお姿を見かけたりとタダノ社員に近いところでお過ごしになっていた印象が強いです。

私が入社した頃のタダノは弘さんの人柄が行き渡っている空気感に満たされているようでした。すなわち、「明るく、楽しく、おもろい」社風でしたね。香川県にある田舎企業で社員の9割が四国出身。みんな昼ご飯は当然のごとくうどん食べてました。本社の食堂のうどん80円でしたからね。

そんな弘さんが我々社員を教育し伝えようとしていたのは「謙虚さ」と「自己克己」「自己成長」の精神だったと思います。その教育を通じて「人」を残そうとされていたのだと思います。くしくも、最後の「航海日誌」(2026年5月号)のテーマが「人を育てる」でした。

私は2005年に弘さんの元を離れ、修羅の道を歩むことを決めましたが、心のどこかにいつも弘さんの「言葉」がありましたよ。私も弘さんの自称「弟子のひとり」であります。これからも弘さんの弟子として恥ずかしくない人間でありたいと思っています。

移動式油圧クレーンという「ニッチ」な業界であり、それを極めようとした弘さん。香川県の片田舎で弘さんの空気があった時、他のことに気を取られず、全社一丸となって日本の建設現場へ移動式油圧クレーンの普及に邁進した時、我々社員には「一つのことを極めようとしている」という自負と静かな誇りがありました。そういう「職人気質」な社風をベースに、時代の流れや周囲の誘惑に乗り浮つくことをせず、独自の技術を磨くこと、そして、自身の信念を貫くこと、無理に天下を取りに行こうとしないことという姿勢を守ったこと。天下は取れなかったけど、きっと、弘さんは最後に満足感と誇りに包まれていたのではないかと思いたいです。

鋼の舟、ついに、浮かばず

ただ、たくさんの「人」が残りましたよ。

「達人」多田野弘相談役のご冥福を心より心より心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。